お茶に頭をぶっ飛ばされた話。
茶屋は西門町の外れ、問屋街の近くにあった。先日、台北で週末を過ごしたときのこと。もともと土曜日は凍頂烏龍茶の産地である彰化の鹿港鎮に行こうとしていたのだけど、前日の酒が災いして起きたら昼。鹿港鎮まではどれだけ急いでも2時間半はかかるから晩の約束には間に合わない。なので茶のことは諦めて散歩した。僕が泊まっていたのは西門町、原宿のようにな場所だ。歩いていると、茶屋なんて中々見かけないところにそれを見つけた。
とりあえず、の茶葉を買って土産にしようとそこに入った。観光客を誘い込む、なんて雰囲気の無い、雑然とした店内。勿論日本語や英語の類は見当たらない。 店の親父は、僕が茶を求めに来たと知るや、何を探しているか尋ねると、手早く何種類かの茶葉を出してきた。試飲をさせて欲しい。そう言って卓に着くと、一言二言話しながら手早く準備を始める親父。台湾人・福建人はこの手の所作をいつから習うのだろう。誰もが無駄のない完璧な動きで茶を淹れる。美しいのだ。 2種類の凍頂烏龍茶を試飲する。ズッ、ズッと何度か飲み干し、舌の上で転がし、口の中で呼吸するを繰り返す。途中、親父の友人が来て試飲のお茶を一緒に何杯かやって帰っていった。まあこんなもんかと思いながら買って帰ろうとすると、凍頂烏龍茶と一緒に並べて置かれたものに見慣れないものを見た。大禹嶺(ダーユーリン、だいうれい)。後ろに烏龍茶と書いてあるからには、まあ烏龍茶なのだろう。勉強までに試飲を頼むと、親父はちょっと値段は張るが、味は全然違うとのたまいながら見惚れる所作で茶を入れて行く。そしてズッ、と一煎目を飲み干した辺りから、僕は俄かに焦りだす。 苦味なく、味は控え目。なのに飲み干した後から戻って来る味がとても甘くて、しかも延々いつまでも続く。一煎目でこれかよ。物によるが、茶葉の開く二煎目、三煎目に最も美味しくなるものが一般的だ(と思う)。じゃあ二煎目はどうなるんだよ、、、と思いつつ、淹れられた茶を頂くと、もう言葉もない。感嘆とも溜息ともつかない呻き声が出るのみ。 親父はオマケをしてくれたけど、大禹嶺が余りにも衝撃だったので言い値を払った。そしたら親父も変に感動して「じゃあこれやるよ!」と阿里山烏龍茶を一袋、ポンと袋に入れてきた。阿里山烏龍茶も良いお茶なんだけどなー、俺あんまり好きでは無いけどなーなんて思ってた。オマケ扱いされる阿里山烏龍茶カワイソス。 親父の敬礼(何故か)に見送られての帰り道、物凄い茶葉を見つけたもんだ、と思いつつも別の一件を思い出す。鉄観音の産地である福建は安渓へいったときに、オバちゃんに囲まれてしょうもない茶葉を半ば押し売られそうになったこと。それを思うと、素人が産地に行っても、五万とある茶葉から特上を探してくることなんて難しいよな!と重ね重ね思ってしまう。茶屋に支払う金の一部はその店の目利き台として支払われるものと考えると合点が行くだろうか。 そしてそうまでして買った大禹嶺。買って帰ったは良いが、しょうもない淹れ方で無駄にしたくないので、未だ開封出来ず。多分次は茶器を買いに台湾へ行くでしょう。笑 |