マイ戦争観
戦争という行為は惨い。だって人を殺すのだから惨いはずが無いのだ。戦争は無くなった方が良い。しかし、僕は武力の保持は否定しないし、"正しい"戦争も否定しない。じゃあ一体何が正しい戦争なのか?「正しい」ことの基準は人によって捉え方が違うが、僕の考えはこうだ。
戦争は他人を力で押さえつける究極的な行為だ。だから武力の行使は究極的な理由が無くてはいけない。武力の行使が肯定されるとき、それは「やらなきゃやられる」ときだ。言い換えよう、簡単に言い換えれば「ヒトラーが現れたときの為」だ。
ヒトラーは武力によって権力を手中にしたのではない。民衆の支持によってその座に就いた。諸外国が言葉で諌めた後の結果は歴史の通りだ。あれに対しては闘うほか無かった。他のどんな手段であれを止めれたというのだろう。僕は他の手段を思いつかない。力でしかホロコーストは止めようが無かったはずだ。
そのような事態が起こらないようにすれば良い、という話しは意味を持たない。軍隊は(主に)事後に動くためのもので、それに至る確率が物理的にある以上、武力の必要性は無くならない。
かといって戦争を無くそうとしなくて良いのか。僕は正しい戦争を否定しないと言った。裏を返せば正しくない戦争は否定する。すなわち他にまだ手段が残されている中で引き起こされた戦争や、してはいけない(=侵略)戦争を否定する。例としては手段が残されている中で先に攻撃を仕掛け、さらにその後に戦争の正義が失われた、イラク戦争が良い例ではないだろうか。
前述したが、戦争は相手を力で抑える行為である。そのコストを格別慎重に扱った上で一番効率的な方法を採る必要があるのに、それが為されていない。その結果、安易に戦争がおきるのだ。このような戦争の暴発こそ防がなくてはいけない。
どうやって防ぐか。結局は各々が云々・・・ということになるのだけれど、具体的に言うならば、いろいろな角度の意見を受容れる。全てに対して疑問を持ち続ける。自分の意見を持つ。重要なのはこの3つ。
最後に、こういう問題を突っ込んで考えない人が居ることも気になるけれど、問題に対する議論を広く深くしていく可能性を持ったインターネットが全く逆の方向を示していることに、僕は怖ろしさを感じずにはいられない。
2007.02.08 Thursday 13:50 | think | - | - |
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