前へ向けてちょい後ろ向き
最近歳のせいなのか、何かにつけてすぐ泣きそうになる。何気なく話しているときなんかにも、突然こみ上げてきたりして、自分でもエッ?と思う。
「回送中のバス、左折時に小3ひき死なす」というニュースがあった。(残念ながら)ありふれてしまっているニュースだけど、なぜか泣きそうになった。 もうひとつ、台湾の地震。 今はまた新しい情報が入っているのかもしれないけれど、情報が少ない。昨日聞いたところだと2人無くなっただけだそうだ。 情報を聞いたとき、こう思ってしまったんだ。 「亡くなったのが2人だけで良かった。」 2人"だけ"? まだその2人が誰なのか解らないのに、自分の身内が含まれていないと決め付けた上での言葉なのだろうか。気持ちの整理が付いていないから、それがどういう感情から来た言葉なのかも解らないし、そう思ってしまったことに違和感を感じる。もし、身内が入っていたらこんな物言いは出来るわけが無いさ。 他人に降りかかった事を「自分ではない」と安堵しているのかもしれないし、また、そう思い込むことで安堵したいのかもしれない。 自分の身に降りかかった悲劇と、他人の身に降りかかった悲劇は別物で、同一視はできない。残念ながら僕にとって他人事は、結局他人事だ。 自分ひとりで世の中全てを見守ることなんてできない。遠い場所にいる、見知らぬこの子供を事故から救うことなんてできない。でも、想うことぐらい良いだろう? 「悲しみがなくなりますように。」 まだまだ悲しいことは世の中から無くならない。 もしかしたらそれは絶対無くならないのかもしれない。けれど「無くなる」と思わなければ、それは絶対に消えはしない。可能性すら無くなる。 悲しいことだけじゃない。夢、希望だってそうだ。信じなければ絶対に叶わない。 将来に不安を感じない瞬間なんてほとんど無いけれど、この一年何度も転んで、立ち上がって。上海に来て、今は根拠の無い可能性が見えてる。 僕はそれを信じたい。 この一年も有難う。 皆様へ。 |